2020年

【2020アニメ】「呪術廻戦」アニメレビュー





(88点)全24話

少年は戦う――「正しい死」を求めて 辛酸・後悔・恥辱 人間が生む負の感情は呪いと化し日常に潜む 呪いは世に蔓延る禍源であり、最悪の場合、人間を死へと導く そして、呪いは呪いでしか祓えない 驚異的な身体能力を持つ、少年・虎杖悠仁はごく普通の高校生活を送っていたが、ある日“呪い”に襲われた学友を救うため、特級呪物“両面宿儺の指”を喰らい、己の魂に呪いを宿してしまう 呪いである“両面宿儺”と肉体を共有することとなった虎杖は、最強の呪術師である五条 悟の案内で、対呪い専門機関である「東京都立呪術高等専門学校」へと編入することになり…..呪いを祓うべく呪いを宿した少年の後戻りのできない、壮絶な物語が廻りだす―TVアニメ「呪術回戦」公式サイト




呪いを祓うために戦う主人公の壮絶な日々を描いたバトル×ファンタジーアニメ

ストーリー
作画
面白い
総合評価 (88点)
完走難易度 易しい

原作は芥見下々先生。

監督は朴 性厚さん。

制作はMAPPA。

呪い

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

呪いを祓う呪術使いの物語。

巷で大変人気を博している作品で、「ポスト鬼滅」なんて言い方もされているほど注目度の高い作品だ。

原作は週刊少年ジャンプで連載中の漫画。「王道のバトル漫画」「五条悟」という触れ込み以外は予備知識は全くなし。

1話のストーリーは主人公が平和な日常から一転、呪いの力に目覚めるところから始まる。

オカルト研究部の先輩2人を助けるために勇敢に呪霊に立ち向かい、より強い力を欲したために結果的に「呪い」を身体に取り込み、強大な力を手に入れる。

彼の正義感の根っこにあるのは祖父の教え。人を守り、人から頼られ、人に囲まれて死ぬ。祖父が言うところの「正しい死」を与えるというのが主人公の行動理念になっている。

友人のピンチで能力が開眼。元から備わる身体能力というポテンシャルで呪術使いとしてもいかんなく能力を発揮。のびしろを生かすために専門学校に入学し、ライバルとしのぎを削る。

友情・努力・勝利。いかにも王道なジャンプ作品という感じだ。

作画の力の入れようも凄まじいものがある。一人称のカメラアングルは迫力を演出し、バトルのコマ数の多さは驚愕レベル。モンスターの禍々しさも気持ち悪いことのこの上ない。

1話を観ればこの作品が大人気なのは納得するしかない。だが同時に「天井に触れた」という事実を改めて実感している。

今まで感じたことがない面白さをどのアニメにも期待はする。だが世間で「面白い」と評価されている作品には、やはり法則性がある。「呪術廻戦」もどうやら例に漏れなさそうだ。

独自の路線を築き上げて同時に人気も…という作品はあるにはある。だが鬼滅や呪術廻戦ほどマンモス級ではない。だからやはり「面白い」は天井に達している。

「面白いけどお決まりのパターン」

結局呪術廻戦も面白い作品の「型」で抜いたに過ぎない。この作品に目新しさは正直ない。

しかもそれは見飽きた一番鉄板のパターンだ。一芸に秀でた主人公。大切な人との死別。訪れるピンチ。能力の開花。故人の教え。師匠。カッコいい技名・組織などの固有語。

五条先生と3人の生徒のキャラクターを見れば一目瞭然。ナルトを知っている人なら既視感しかないはずだ。(笑)

個人的な感想としては「面白いけど見飽きた」という感じだ。子供のころから馴染んできたジャンプ作品だから余計にそう感じてしまう。

まあ結局は王道が一番面白いのでどうしようもない。テンプレがあるということは、それだけテンプレが多くの人の支持を得ているということ。

王道に沿うことが大前提と言っても過言ではない。(王道作品は他にもあるのに、なぜ呪術廻戦がこれほど人気なの?という真っ当な疑問もある)

炭次郎が家族を失わずに平和に暮らすままだったら今の人気はないだろうし、虎杖が呪いの存在に気付かず、祖父も亡くさず、わが身可愛さで臆病だったら、同じく今の人気はない。

1話の段階では「面白いけど見飽きた」でも、今後「見飽きたけど面白い」になれるのかどうかを楽しみつつ視聴を継続する。

葛藤

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

「葛藤」を上手く使っている作品だ。

AかBか。どちらかを選んだらどちらかを失う。究極の二択をこの作品は容赦なく突きつけてくる。

例えば専門学校の1年生3人が最初に出会い、初めてお祓いをしにビルに入ったときに、釘崎は呪いと相まみえ、偶然残っていた子供を呪いに人質に取られてしまう。

呪いを攻撃したら子供にも当たるかもしれない。子供を救おうとしたらそのまま殺されてしまうかもしれない。また武器を捨てて投降しても子供を返してもらえる保証はない。

主人公が自分の中の呪いを抑え込めなかったシーンでも、別人格が主人公の身体を乗っ取り、心臓を抜き取ることで伏黒に選択を強いている。

主人公は別人格に身体をコントロールされている。心臓もない。別人格は心臓がない状態でも生きることができる。

そこで、別人格を倒したとしても主人公は心臓がない状態で戻ることになり、死んでしまう。だからといって別人格を野放しにしておくと、当然他の一般市民にも危害が及ぶ。

葛藤を上手くストーリーに組み込む。自分の中での葛藤、敵との葛藤。

面白い作品には必ずこの葛藤があるが、この作品は他の作品よりも気持ち、葛藤シーンが多い気がしている。

これは恐らく意図的だ。ここまでキャラクターに葛藤を強いる作品は経験上、あんまりない。

多ければいいってもんでもないとは思うが、そこまで過剰に葛藤を入れているわけではないので不自然な感じは受けない。

キャラクターに迷わせて選択させる。上記2つのケースでは、どちらも結局選択することにはならないが、選択を強いることでより克明に人間性をあぶりだすことができる。

釘崎の苦悶と当惑に満ちた表情。そして伏黒の短い付き合いとはいえ、私情で助けた主人公を失うことによる悲しみと決意の表情。

しっかりとキャラクターの中身が見えるような脚本になっているので、前のめりになって楽しむことができる作品だ。

正しい死

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

主人公が行動理念として一貫して掲げているのが、この「正しい死」だ。

王道のバトル漫画で一般的なのは「ヒーローになる」とか「〇〇〇になる!」とか、「大切な人を守るための力を得る!」といった野望や強い意志が大半を占める。

だがこの作品は正しい死。非常に珍しいケースで、ここにオリジナリティを見出すことができる。

とある少年院で特級の呪霊が出現し、そこに1年生3人で乗り込むシーンで、乗り込む前に少年院にいる息子の身を案じて、母親が安否を大声で確認するというシーンがある。

実はその息子は元犯罪者だ。だから少年院に入っている。3人はその後施設内に入り、そこで、その息子の無残な死体を発見する。

主人公は「死体を持っていく」というトンデモ意見をぶち上げる。強力な呪霊が近くにいながら、すでに死んでいる者を、せめて母親の元へ届けようというのだ。

そこには「正しい死をもたらす」という理念がある。たとえそれが犯罪者だとしても、最後には相応しい死を享受する権利は平等にある。それが主人公の考えだ。

その後、伏黒の手によって遺品として、名前が入った服の一部が母親に届けられるというシーンがある。

そこで伏黒は、過酷な状況下でも遺体を持って行こうとした主人公のことを母親に話し、母親が「彼が死んでも悲しむのは私だけですから」と言って泣き崩れる。

なんとなく、少年漫画っぽくないシーンだと感じる人は多いのではないだろうか。一連のシーンで「命の価値」について、観ている人に問うような内容になっている。

「主人公は犯罪を犯した人でも、最後には正しい死を得るべきだと思っているけど、君たちはどう思う?」

呪術廻戦を呪術廻戦たらしめているのは、このような部分にも垣間見える。深くて重いテーマ。

これが大人気ジャンプ作品とは正直思えず、まさに今、面を食らっている。

現代風

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

時代と共に、王道バトル漫画も変遷するということなのだろうか。

この作品には、ところどころ今風のテイストを感じる。昔の王道バトル漫画と似て非なる部分が多々見受けられる。

例えばその1つが、専門学校の先生をしている「五条悟」だ。

彼は主人公の修行を担当し、師匠となるポジション。NARUTOでいうカカシ先生。ドラゴンボールでいう亀仙人。鬼滅の刃でいう鱗滝さん。

彼は「呪術師最強」と呼ばれている。まさに敵なし状態。さらに彼は教育者としても優れている。

彼は担当する生徒に強く思い入れており、大切に育てようといろいろと思案している。

そして主人公に課す課題だったり、主人公への向き合い方だったりを見ても、「今風」を感じざるを得ない。

順を追って丁寧に育てていく。いきなり死地に立たせたり、過酷な訓練を課して精神論を振りかざしたり、短時間の訓練でいきなり強くなったり。そういった古い「ご都合」に任せていない。

まずは呪術についての説明から入り、「君は術式は苦手だけど、体術には優れているね。だからそれを伸ばしていこう」といった感じで、器用貧乏にするのではなく、積極的に長所を伸ばそうとしている。

そこから定番の「キテレツで何の役に立つのか分からないけど、気づいたら強くなっているトレーニング」をし、その次は実戦を生で見学し…といった感じで、少年漫画とは思えないほど、尺の制限があるにも関わらず「丁寧さ」を強調して作られている。

身体に教え込むのではなく、少しずつ段階を踏んで身体を慣らしていく感じだ。

もちろんこれが正解かどうかは分からないが、今風のあらゆる教育論と照らし合わせても、理に適っているのではないだろうか。(自分も教育者の端くれなのでよくわかる)

五条先生は人となりも温厚で、3枚目キャラで、優しくて、生徒思いで、生徒個々の特徴や性格をしっかり見ている。

しかも彼は、「呪術界」の上層部のお偉いさんとバチバチにやり合っている。戦っているわけではなく、お互いがお互いをよく思っていない冷戦状態だ。

対立しているお偉い組織の一員である学長との会談でも敬語を使わず、それに対して「最近の若者は敬語もろくに使えんのか…」と咎められたときも「端から敬う気がねえんだよ。最近の老人は主語がデカくて参るよ。ホント。」と堂々と立ち回っている。

彼らを「腐ったミカン」とこき下ろしてもいる。呪術界を一新することが彼の目的でもある。五条先生は組織の一員でありながら、その組織に従順ではないということだ。

鱗滝さんが鬼殺隊を敵視している。カカシ先生が火影と対立している。亀仙人は…よくわからないが、主人公とその師匠が属している組織に、師匠が反抗しているという構図の異常さが際立っている。

時代の変革者。腐った大人たちの首をすげ変える。深くは突っ込まないが、現代人の気持ちと彼の意志には重なる部分が多いはずだ。

普段はお茶らけているのに、戦場に立つとめちゃくちゃ強い。いわゆるギャップもある。ビジュアルのインパクトもある。声も中村悠一さん。そりゃあ人気が出るのも無理はない。(笑)

後は打倒・五条先生を掲げる黒幕たちが、今後の展望を話し合うシーンで「五条悟は然るべきとき、然るべき場所、こちらのアドバンテージを確立したうえで封印に臨む」と、とあるキャラが言っている。

狡猾だ。一般的なバトル漫画の敵だったら力任せに暴れたり、自分の力を過信したり、「上から見下ろす」という視点が多い。

だがこの作品の敵は、五条悟という呪術界の最大戦力に対して、最大限のリスペクトを払い、理知的に戦おうとしている。

褒めて伸ばす先生。敵らしくない敵。ところどころで時代の変遷を感じる「今風テイスト」が散りばめられている。

前半戦

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

ちょうど1クールを観終わったが、面白い。話題になっているのも納得の面白さだ。

外枠は王道で固めている。祖父の教え。師匠。能力の開花。学校への編入。友情。対立。

しかしその中にあって、独自性がいい味を出している。

主人公は専門学校に編入する。しかし、学び舎で授業を受けるなどの描写は一切ない。

戦場にいきなり駆り出され、主人公は死ぬ。そこから復活して先生の元で手ほどきを受けながら、ツギハギの呪霊と戦い経験を積む。

かたや、同じ1年生の2人は「京都校」との交流戦を控え特訓を重ねる。王道のレールから外れている部分が各所にあり、展開が予想できない面白さがある。

主人公を試すような敵役のポジションも活発で、常に主人公に選択を迫る言葉の槍を投げてくる。

正しい死とは何か。どうしようもない悪人でも殺さずに生かしていいのか。自分の目的のためなら人殺しをしてもいいのか。

全ての人に正しい死を。それはある面では正しく、ある面では決断の迷いが自分の首を絞めることになる。主人公は壁にぶち当たる。

敵は主人公を常に試してくる。お前に人殺しができるのか。自分の理念なんか捨てて「両面宿儺」に全てを委ねてしまえ、と。

そこで主人公には葛藤が生まれる。目の前のゲス野郎にも正しい死を用意する必要があるのか。善人・悪人という区別ができるなら、それぞれに合致する形の「死の正解」などあるのか。その答えを自分は知っているのか。

自分の理念と向き合い答えを出す。だけど最後は感情に任せて。理念を真っ向から否定する人間の逆らえぬ感情も如実に描き出す。

人間味のある主人公が理念を脇に置いて、純粋な殺意で敵に立ち向かう。でも頭は努めてクールに。なんとも食えない作品だ。

主人公は我を失い暴走することもない。力に飲まれて制御を失う主人公。今までク〇ほど見てきたお馴染みの展開。しかしこの作品では、制御できる・できないが焦点ではない。

「自分の中の悪魔とどう付き合うか」というところが焦点になっている。両面宿儺の引き出しは常に開閉可能だ。ナルトの九尾の力(初期)とは違う。

彼に頼れば万事解決。最強だ。何とかして欲しい時は頼りたい。

しかし彼は自分ではない。善人でもない。自分の中に眠るもう1つの「魂」のようなものだ。彼は自分が本来祓うべき呪いだ。だから葛藤が生まれる。命の価値について。理念について。

常に正しい死を享受することは不可能ではないのかと。だったらその答えが分かるまで進み続ければいい。

主人公の根底にある目的・理念が戦いの中で少しずつ変化し、戦闘の面でも成長が見られた前半戦になっている。

あっという間の12話だった。さすがに人気が出る作品は一味も二味も違う。王道と邪道を上手く組み合わせ、悲しい・切ない・怒り・憎しみなどの人間の感情を呼び起こすようなキャラクターがいて、そんなキャラに立ち向かう主人公がいる。

ところどころで筋書き通りに読めない面白さとアイデンティティがあり、今風のテイストがさらに上乗せされ、現代を代表する最高のエンターテインメントに仕上がっていると言っても過言ではない。前半戦の総括はそんな感じだ。

ただ少し気になるのは、バトルの間で挟まれる気の抜けるようなギャグシーン。

緊張感が肝のバトルで、笑いの要素を挟んでくるシーンがあり、寒いノリがバトルの味を落としている場面もあった。

だが総じて見れば、時と場所を選んでいる。見せ場のシーンでふざけることはない。

対面する相手との力関係やそこにいるキャラクター、バトルの背景などでちゃんと調整されている印象を受ける。

切り替えもちゃんとしているので、プラスに捉えれば、程よく脱力できるという言い方もできるだろう。

いずれにしろ、バトルアニメの究極系とも言える作品だ。後半戦がどうなるのか。1年生と再会できるのかどうかも楽しみにしたい。

交流会

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

後半戦は交流会とは名ばかりの東京校と京都校のバトルが描かれている。

勝敗が決するのはエリア内にいる二級呪霊を祓うこと。しかし不思議なことに、誰一人勝敗を決する呪霊を探そうとしない。(笑)

呪霊そっちのけで戦う。単純なバトルだ。

前半戦と比べると、さすがにペースダウンしている。主人公に狭く深くフォーカスするシークエンスから、東京校と京都校、それぞれの呪術師の過去を広く深く掘り下げる内容になっている。

対面した者同士の過去やトラウマ。家庭環境。お家騒動。生まれながらのハンディキャップ。

そういったものが、サシの勝負で明らかになっていく。前半戦とは明らかに方向性は異なる。

自ずと、主人公にスポットが当たる回数も減っており、その分ストーリーのテンポという面では冗長している感も否めない。

交流戦はどこまで行っても交流戦。主人公を殺せと学長が命じてはいるものの、東堂というキャラによってそれは阻止され、ただの純粋なバトルが結構な尺で描かれている。

この交流戦にどんな意味があるのかはなんとなく分かる。だがどうしても前半戦と比較してしまうと、後半戦は物足りなく感じる。

総評:凄まじい

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

24話を完走した今この疲労感が全てを物語っている。

「呪術廻戦」というタイトルに嘘偽りのないバトル、バトル、バトル。

前半戦は主に呪霊と相まみえ、後半戦は同じ呪術師と戦い、ある者は友情を育み、死線を潜り抜けることで格段に成長する。

24話という尺をフルに使って濃密なバトルが描かれている。交流戦以外はどれも命をかけた戦い。自分の理念や強大な敵との葛藤を通して、自分の呪力と向き合い、さらなる力を引き出す。

とあるシーンの回想で五条先生は伏黒に「戦いは結局個人戦だ」と言っている。

五条先生はカカシ先生に似ている。風貌といい昼行燈なところといい、そして3人の生徒を持っているところといい…

カカシ先生が最初に行った試験で、ナルトとサクラとサスケに言ったセリフを覚えている人は、先の五条先生のセリフと比べて何かピンと来ないだろうか。

細かいニュアンスまでは覚えていないが、カカシ先生はそれぞれが個人プレイに走るのを見て、チームワークの大切さを説いている。

翻って、五条先生は全く正反対のことを言っている。結局は個人同士のぶつかり合いだ。個々が強くなければあっさり死ぬだけだ、と。

一般的には、というか多くの王道モノの作品では「チームワーク」とか「仲間」とか、「連携」とか「信頼」がより強調される。

それももちろん大切。しかし結局のところ試されるのは「個」の力。五条先生はそう生徒に言う。

王道の逆を行く天邪鬼だと思われるが、意外と真理を付いている「斬新」な視点だ。

バトルに限らず、高専生が競った野球などの団体競技においてもそうだ。組織は結局は「個の集まり」でしかない。

周りを生かすプレーよりも、自分が一番になりたい。自分が一番目立ちたい。もっと強く(上手く)なりたい。自己犠牲だけではチームは回っていかない。

もちろん「個」か「組織」かなんて二元論ではない。どちらも大切。五条先生はそれを理解した上で、伏黒の現状に合った声掛けでモチベーションを高め、伏黒の呪力の最大値を引き出している。

五条先生の存在感。24話を通してあまりに大きすぎる彼の存在感は、間違いなくこの作品の太く大きな柱となっている。

しかしそれでいて、五条先生は出しゃばりすぎないところもまた良い。生徒たちに学びを与えるという意図があるかは推し量ることしかできないが、主人公にはしっかりと活躍の場を、他の生徒たちにも成長の場を、あえて与えているようにも見える。

五条先生の生徒は、みんなきっかけをつかんで成長している。五条先生の教えもあるし、そうでないものもある。全てに関与しているわけじゃないのもいじらしい。

引き際を心得ている。あくまで主人公は虎杖だ。

自分がなんでもかんでも解決する過保護ではいけない。戦場で生き抜くための術をそれぞれの技量や性格、能力の特徴を踏まえたうえで段階的に教えていく。

影響力が大きすぎないのに、ここまでの絶大な存在感。普段は不真面目なのに、いざバトルになるととんでもないバケモノっぷりを発揮する。つかみどころのない彼の魅力につい引き寄せられる。

もちろんバトル漫画というのは大局で見れば、結局は主人公が成長する物語だ。

そこは例に漏れず、この作品も修羅場を潜り抜けて、文字通り死地から這い上がり、同じ志を持つ者と友情を育み、新しい力に目覚めて、東堂と2人がかりとはいえ、特級クラスの呪霊とも渡り合っている。

王道の楽しさが根底で作品を下支えしつつ、この作品にしかない要素が均衡を崩さない程度の、かつ物足りなく感じることのない量で乗っかっている。

ED後の「じゅじゅさんぽ」がそうであり、葛藤を分かりやすく強いる敵がそうであり、バトルの合間の箸休めになるギャグがそうであり、序盤のちゃぶ台返しがそうだ。

感情の変化も楽しめる。バトルにかかっている重さもあり、ライバルとの共闘や最強キャラの異次元な力など、バトルの王道展開もしっかり押さえているから飽きが来ない。童心のまま最後まで楽しめる。そんな作品だ。

面白いに決まっている。こんなものは。最高のバトルアニメだ。

ただ前半よりは、後半の方が明らかに熱量は下がっている。これは24話アニメの宿命でもあるし、ストーリー構成の問題でもある。

恐らくは、後半の交流戦は2期以降の伏線になっているのだろう。交流戦で戦い、過去を知り、共闘した。これは後に、より強大な敵と戦うためのきっかけ作りに過ぎない。

しかし、あくまで「1期」という括りで判断をすると、「結局交流戦ってなんだったの?」となる。

故に、最終的にまとめることが至上命題であるアニメ作品としては致命的。

2期がすぐに観られる環境であれば問題はないが、2期はだいぶ先だし、2期でも描かれるとは限らないのでグレーな部分ではある。

だが間違いなく1期で終わらせるには惜しい作品だ。構成の穴と言いたいところだが、この作品は特例で、2期への宿題として保留にしておこう。(笑)

雑感:奇跡

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

10年に1人の逸材が同時に誕生した気分だ。鬼滅の刃と呪術廻戦。ほぼ同時期に人気を博し、社会現象になっている。これは偶然だろうか?

これについて考えるとき、まず間違いなく「コロナ」というワードが絡んでくる。

コロナ禍でなければここまでジャンプの、それも血生臭い男勝りなバトル作品が社会を席巻するほど、絶大な人気を誇ることなどあり得ない。

今までも「似たような」作品は数多く世に出ているが、そのときは2作品ほどの人気が出た覚えがない。記憶違いの可能性もあるが。

時代の巡り合わせなのだろうか。それとも、作品本来の面白さだけが人を魅了して、他の作品にはない面白さを多くの人が見出したから、というシンプルな摂理なのだろうか。

分からない。ただ間違いなく言えるのは、この呪術廻戦は面白い作品の条件を網羅していて、「パクリ」だの「二番煎じ」だの、外野の雑音をかき消すほどのマンモス作品になってしまったということだ。

もう道を阻むものはない。鬼滅と同じ土俵にすでに立っている。ここからどれだけ発行部数や視聴率、円盤の売り上げの数字が伸びて、2期→3期→4期…と続き、スポンサーが付いて、コンテンツが増えて、どこまで作品が広がっていくのか。

誰も予想はできない。鬼滅の人気さえ、もう理から外れてしまっている。普通の尺度では測れない異常な現象になってしまっている。

この作品も「鬼滅の刃」とはいかないまでも、それに次ぐくらいのポテンシャルは持っている。自分の目で見て確信した。

興味がある人は是非観て欲しい。乗るしかない!このビッグウェーブに!




COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です