2020年

【2020アニメ】「デカダンス」アニメレビュー





(75点)全12話

突如として姿を現した未知の生命体《ガドル》により、人類が滅亡の危機に陥ってから、長い年月が過ぎた。生き残った人々は《ガドル》の脅威から身を護るため、全高3,000Mの巨大な移動要塞《デカダンス》を建造し、日々を暮らしていた。《デカダンス》に住まうのは、日夜《ガドル》と戦う戦士たち《ギア》と、戦う力を持たない《タンカー》たち。ガドルと戦う戦士《ギア》に憧れ、自らも《ギア》になることを夢見る《タンカー》の少女・ナツメは、ある日、無愛想なデカダンスの装甲修理人・カブラギと出会う。夢を諦めない前向きな少女と夢を諦めたリアリストの男。一見正反対のように見える二人の出会いは、やがてこの世界の未来を大きく揺るがすことになる。TVアニメ「デカダンス」公式サイト




ガドルと戦うことを夢見る少女を描いたバトルファンタジーアニメ

ストーリー
作画
面白い
総合評価 (75点)
完走難易度 易しい

NUTのオリジナルアニメ。

監督は立川 譲さん。

お馴染み

©DECA-DENCE PROJECT

オブラートに包んだ言い方をするならお馴染みの作品。少し過激な言い方をするなら「パクリ」と捉えることもできる作品だ。

というのも、既視感がある人が多いかもしれないが、この作品は定番の「何かしらの脅威によって隔絶された世界に住む人類」が主役となっている。

その世界観の筆頭作品として「進撃の巨人」が挙げられる。さらにはカバネリ、ダリフラ、オワセフあたりも、同系統の作品として括ることができるだろう。

この作品はオリジナル作品だ。原作はない。企画がもし放送の3年前の立ち上がったと仮定すると2017年。ダリフラ以外の上記全ての作品が、既に世に出回っている時期だ。

そう考えると、まず間違いなく上記の作品を意識した世界観作りになっている。意図して「パクリ」を行ったことも十分考えられる。なぜわざわざ被せに行くのか。

私が考えるに、この世界観はアニメを面白くする型の筆頭だからだ。抑圧された人類。その中でさらに抑圧されて生きることを余儀なくされる主人公。そこから這い上がり、何かを変えようとひたむきに努力をする。

面白くなる条件が既に揃っているのがこの世界観の特徴だ。世間はもしかしたら盗作だなんだと騒がしくなっただろうが、テンプレだろうと何だろうと強ければ使うし、そもそもパクっているのは大枠だけ。中身は似て非なるものだ。

主人公はデカダンスと呼ばれる移動要塞の中で暮らす人類の中の1人。ガドルというモンスターとの戦いで父親を亡くしており、ガドルと戦う戦士になることを夢見ている。

だが実際は、戦士は五体満足でなければならず、片腕が義手の主人公は選考の時点で漏れてしまう。そこでやむなく、デカダンスの装甲修理士の見習いとして働くことになる。

ハンディキャップを抱えながらも、それを苦にせずに「望み」を持って、目の奥の炎を燃やし続けて、いつかガドルを根絶やしにするという大風呂敷を広げる主人公。

だが周りには「なれっこない」と否定される。クラスメイトには笑われ、修理工の師匠にあたる組長には「安全な場所で一生を終えるのが最善」と夢を否定される。

それでも折れない主人公。逆風を跳ねのけて進む主人公がいることで、この手の作品はどんどんと前に進んでいく。

斜め上

©DECA-DENCE PROJECT

序盤にして予想の斜め上の展開に進んでいる。まさか過ぎる展開に絶賛面食らい中だ。

このアニメはガドルと戦い殲滅していく物語…ではなく、人類が高次元の何者かのシステムによって動く「NPC」のような存在であることが明らかになる。

細かい設定などは序盤ではわからないが、「デカンダンスの中で暮らす人類」が「全ての世界」ではなく、その人類を高みから見下ろし、ガドルと戦いランク付けして競い合う高次元の存在がいることが明らかになっている。

あまりのぶっ飛び展開にビックリだ。こんなことが2話の時点で明らかになることなど、あまりない。それこそ終盤まで隠されて、どんでん返しで使われるような重大すぎる事実だ。

序盤に持ってきたのは先制パンチのためか、必要な情報と判断したのか分からないが、ともかく、生死をかけた戦いが全て「システムの掌の上」という恐ろしい状況ということになる。

そして、特筆すべきは主人公がシステム上の「バグ」であること。しかもシステムがバグと判断できない「とびっきりのバグ」ということで、それが彼女が戦士として生まれ変わっていくための1つのきっかけになっている。

そこは正直微妙だ。彼女自身の意思の強さや後天的な能力で道を切り開いたというよりも、天性のバグという特性を持っていたことで、彼女はチップを回収されず、組長の独断で生き延びて戦士になる道が始まっている。言ってしまえばそれは他力本願だ。

だがきっかけはどうであろうと、序盤から物語がテンポ良く進んでおり、これから主人公がどのような道を歩んでいくのか。そして、高次元の存在が人類を見下ろし、ゲームのようなランク付けでガドルと戦い続ける意味は何なのか。気になる伏線も楽しみだ。

システム

©DECA-DENCE PROJECT

システムによって統制された世界。そんな世界に価値なんてあるのか。

某サイコパスアニメを知っている人なら、同じような疑問を抱いたことがあるかもしれない。

近い未来人類に訪れるかもしれない現実。システムが人間を支配し、バグは完璧に排除され、システムが決めることこそが正義であり、完璧である世界。

そんな世界は楽だ。迷わなくていい。考えなくていい。決断をしなくていい。全てをシステムに委ねてしまえば、脳死で人生を難なく楽しむことができる。

だがそんな世界にNOを突きつけるのがナツキだ。ナツキはゲームの中の人間。私たちの世界で言うところのNPCみたいなものだ。だが命があり意志がある人間だ。(某アンダーワールドを思い出す)

ガドルという脅威に対して、システムに従順に、プログラムされたまま、ただ恐れて蹂躙されるだけではない。そこから反旗を翻し、自分が反撃の旗印になろうとしている。

その意志の強さが組長を突き動かす。ただ死を待つだけのサイボーグから、最後まで諦めずに足掻くバグへと。ナツキとの出会いが組長を変える。そしてラストのバトルシーンへと繋がっていく。

システムとは何か。システムは絶対なのか。逆らうことは悪なのか。自由と統制のどちらが正しいのか。そんな二律背反の強いメッセージを孕んでもいる。

ただ死を待つだけのサイボーグが、たとえゲームの中の存在とはいえ、感情を入れ込み、高次元から見下ろすだけではなく、同じ目線で語り合い、共に戦う美しい師弟関係。

ストーリーが少し入り組んでいてややこしい面はあるものの、統制から逃れ、自由を得るために奮闘する姿、そして、弟子を一途に思う師匠の姿は胸に迫るものがある。

総評:新しい

©DECA-DENCE PROJECT

設定の斬新さが際立ちながらも、ストーリーは正統派で面白い。

サイボーグと人間。戦士とタンカー。ゲームプレーヤーとNPC。本来ならサイボーグが人間に操作されるところを、反対に、サイボーグ側が現実で、人間を操作する側になっている。

それがまずは斬新だ。オリジナルアニメならではの自由さと言えるかもしれない。

人間がシステムに支配される。訪れるかもしれない未来を投影することで、余計にストーリーをややこしくしている感は否めないが、多少枠から外れた自由さがあっても、理解はそれほど難しくはならない。

そういったちょっとした遊び心がありつつも、ストーリーは不屈の精神で立ち上がるナツキと、それに感化される組長を始めとした、サイボーグと人間の垣根を越えた面々が、システムに喧嘩を売っていく光景は見ごたえがある。

システムに対する反抗。まさにサイコパスでも大々的にテーマとして描かれた部分だ。

サイコパスの1期では、槙島という凶悪犯の犯罪係数を正確に感知できないというシステムの穴がまさに仇となり、多くの血が流れている。だが最終的には、狡噛さんがシステムを切り捨てて自分の正義を貫いている。

SAOでは、コード871の統制を自らの意志で逃れるNPCが生まれているように、統制(=システム)を破る自由な存在は作品を盛り上げる。

だがシステムは「イレギュラーの善悪」を判断できない。そのバグが良いものだろうが悪いものだろうが、一律に排除するプログラムになっている。それがまさにシステムの穴だ。

システムに全てを委ねる恐ろしさと共に、考えなくても生きていける世界で腐っていくことに対する警鐘と、絶望の中でも諦めないことの大切さ、そんなありふれたことをこの作品は教えてくれる。

ストーリーの流れは綺麗で、それこそオリジナルならではの統制とは無縁な「自由さ」がこの作品の魅力であり、のびのびと楽しそうに作っているのが伝わってくる作品だ。

だが少し話を小難しくしすぎているきらいはある。その1つが、サイボーグが生きる世界と人間が生きる世界を全く同一にしている点だ。

本来現実の価値観で測るなら、趣味として遊ぶゲームは、現実とはかけ離れていることがほとんどだ。現実の状況をそのままゲームでプレイすることほど退屈なことはない。(笑)

非現実的な体験をするためにゲームをする。だがこの作品では、サイボーグが生きる「現実世界」とナツキたちが暮らす「仮想世界」が全く一緒なために、主に2つの世界を行き来するシーンではややこしいことになっている。

「ゲームと現実」という境界が存在すること自体が曖昧だったため、何が何だか混乱するようなシーンもある。

そもそもの出発点で、サイボーグと人間を入れ替えてしまったことにも原因がある。もちろん私の頭にも原因がある。(笑)

分かりやすく人間がシステムに翻弄される構図を描きたいのなら、それこそサイコパスのような世界観でも良かったかもしれない。サイボーグである意味はあんまりない。

しかし、何となく入れ替えた風に見えて、その実、しっかりと人間とシステムの力関係を反映した設定だとは思う。ややこしいことに変わりはないが。(笑)

それはともかく、最後にはちゃんと理解できるような帳尻合わせがきちんとあり、モヤモヤしたものはありつつも、一応はラスボス的なガドルを倒して一件落着で終わっている。

シンプルな葛藤があり、シンプルな師匠愛があり、シンプルで一途なポジティブさと爽快感のある作品だ。

雑感:だがしかし

©DECA-DENCE PROJECT

この手の人類反撃系アニメにしては珍しい作風だ。

人類が生物ヒエラルキーの頂点にいるという固定概念をぶっ壊し、人類が廃れた後の世界をシステムで統べる「サイボーグ」が頂点に置かれている。

サイボーグと人間の間に生まれる師弟愛。流れが非常に綺麗で、最後も気持ちよくハッピーエンドで締めくくられており、1つの作品として完成度が高く、満足度も高い作品だ。

だが腑に落ちない部分も多くある。その1つがゲームの世界とサイボーグの世界の境目だ。

どうやら「デカダンス」というゲームは、サイボーグの世界と似せて作られているようだが、それにしてはところどころ違和感がある。

例えば、組長はルール違反を犯して「昼はゲーム内で修理士の仕事をして、夜はバグを持った人間のチップを回収する回収屋の仕事(=バグ処理)をする」という任務を預かるわけなのだが、システムの枠組みから逸脱した代償がゲーム内での仕事、さらにバグのある人間のチップを回収すること、というのは納得がいきづらい。

どちらも苦行とはいえ、ゲームはゲームだ。「ゲーム内での苦行が現実世界の罰となる」ことに何の意味があったのだろうか。しかも罰を犯した者に、システムの統制において大切なバグの修正を任せるだろうか。

ところどころ雰囲気でごり押しされているような箇所があり、性格の悪い私は最後まで気になってしまった。(笑)

とはいえ、1本の作品として起承転結がしっかりしており、すき間時間にサクッと観られて感動できる素晴らしい作品だ。

興味がある人は是非とも観て欲しい。




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